(エッセイ)津軽半島へのひとり旅 最終回(全3回)
4日目の朝、私は五能線に乗るために、再び五所川原へ戻ってきた。ここは活気のあるにぎやかな街で、道路の両側にはアーケードの商店街がどこまでも続いている。3日ぶりとはいえ、小泊や竜飛を回って来た目には、何だかひどく都会に見える。私が生まれ育ったあたりも、こんなどこにでもありそうなアーケード街で、古い和菓子屋さんや古本屋の店先をのぞき見ながら歩いていると、ふと東京に帰って来たような気分になる。けれども、駅から10分ほど歩くと真っ青な空にふわりと岩木山が浮かんでいる。
川がさらさら流れて、河原では犬を連れた男の子たちが石の投げっこをしている。土手の上からぼんやりとそんな風景を見ていると、帰る故郷のないことが少しだけ悲しくなってしまう。子供の時分、叱られた時に抱きついて泣いた木、暗くなるまで夢中で遊んだ河原が、いつでも変わらない顔をして自分を迎えてくれたら、どんなに嬉しいことだろう。何を失っても、誰が去って行っても、心はそこに帰ってゆけるだろう。私が今まで心の底から求めていたものは、そういう場所なのかもしれない。私はちょっと感傷的な気分で、深浦行きの五能線に乗った。
日本海に沿ってどこまでも列車は走ってゆく。海には、本当にいろいろな表情がある。竜飛岬から見下ろした海はただ恐ろしかった。人間なんていう卑小な存在を、一も二もなく跳ね飛ばしてしまうほど冷たく厳しかった。けれども、いま目の前にある海は、何かを諦めたように哀しく笑って、無言で人を受けいれている。やさしい、というのはそういう事ではないかしら。おだやかに光る波を眺めながら、そう思った。
深浦は、この海そのままのやさしいまちだった。さざえ荘という小さな宿に着くと、真っ白なかっぽう着のおばあちゃんが笑顔で迎えてくれた。大きな窓は一面夕焼けの海だった。雲が、手をつないで空から降りてくる3人の子供になった。500メートルもある鳥になった。バットを構える野球選手になった。プロペラ飛行機になった。帆をあげる帆船になった。そして、真っ赤な空に溶けて消えていった。しばらくして月が登って来たとき、私は何だかわからない大きなものに心から祈りたくなった。遠い、けれども一番近くにあるもの。永遠のもの。海も空も抱きしめてただそこにある、大きな、果てのない何か・・・私は導かれている。太宰治の「津軽」という本を手にして今ここにこうしていること・・・すべては最初から決まっていた。もっともっと生きられるように、何かが私に手を貸してくれたのだ。
帰ったら大切な友達に話そう。きっと上手く話せないけれど、小泊の真昼のような夜を、五所川原の賑わいを、竜飛の百合を、深浦の海や夕映えや飛べないかもめのことを。ひとつひとつ地図をたどって、もう一度記憶を蘇らせながら話そう。
(完)




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