(エッセイ)もうやって来ない未来、と「幸福」について(下)

 

筑波研究学園都市ができた頃には、自殺者が多発しているという話が、まるで怪談のように流布された。高島平団地が造成された頃は、屋上から飛び降り自殺する人が多発しているという話が、やはり怪談のごとく聞こえてきた。

画像

明治開闢以来、150年かけて、近代化にむけて発展と成長をつづけてきた日本は、当初の目的を達成し近代化を成し遂げた。もはや目的を喪失し、解決不可能な問題をかかえて立ち往生しているかに見える。しかし近代化を達成したあとには「国家的な目的」など存在しない。それが「近代化」というものだ。あとは個人がそれぞれ自分だけの目的をみつけて、生きていくしかない。

画像

1995年に、宮台真司は『終わりなき日常を生きろ - オウム完全克服マニュアル』を出し、1997年には『世紀末の作法 - 終ワリナキ日常ヲ生キル知恵』を出している。終わりなき日常を生きる・・・わたしたちがこれから生きていく社会は、こんな風景なのだとおもう。

画像

1995年に、写真家の小林紀晴は『アジアン・ジャパニーズ』というノンフィクションを出している。アジアの旅先で放浪している日本人のバックパッカーや暮らしている人たちを、自ら旅をしながら取材した紀行文だ。日本を出た理由はさまざまだが、その後の彼らのようすも描かれていて、多くが日本に帰国して郷里に帰っていたりする。日本を脱出しても、いずれは再び日本に帰るしかないのだ。写真家の藤原新也や、作家の沢木耕太郎でさえ、いまでは日本に定住している。

画像

もうどこへも行けない。わたしたちは、これからもずっと、どこへも行けない社会を生きていく。コンビニやスーパーやホームセンターで買い物をして、ショッピングモールやカラオケで遊んで、インターネットやゲームやテレビで時間を費やし、時々友人や家族と外食や観光をして、スーパー銭湯で癒やされて、ファミレスで時間をつぶす・・・

それを自覚した者だけが、もしかしたら、どこかここではない場所に行けるのかも知れない☆

コメント

人気の投稿