(エッセイ)津軽半島へのひとり旅 1回(全3回)


次の日は晴れだった。わたしは青荷温泉を朝の10時に出て、五能線の五所川原駅から太宰治の故郷、金木を通ってゆく津軽鉄道に乗った。2両編成の列車は意外に空いていて、私のすぐ横ではスカーフ姿のおばあさんたちが津軽弁で話をしている。前には長い髪に紺のリボンを結んだ制服の女の子がふたり、にぎやかに笑いあっている。窓からやわらかい陽が差して、くすんだ緑色の長椅子にくっきりと影をつくる。私は津軽弁が、とてもキュートであることに気づいて思わず微笑んだ。見渡す限りのりんご畑の中を、列車はのんびりと走ってゆく。とびきり小さな駅では、エプロン姿をしたおばさんがあくびをしながら改札をしている。こんなにゆったりした気持ちになったのは、ずいぶんと久しぶりのような気がした。都会にいると、ゆっくりご飯を作って食べたり、ベランダで四季の草花を丹精に育てたり、という事からどんどん遠のいてゆくような気がする。車窓を過ぎ去る景色を眺めながらそんな事を考えているうちに、終着駅の津軽中里駅に着いた。ここからバスで約2時間で、本州のほぼ最北端の小泊という小さな漁村にたどり着く。バスを降りた時には、もう陽がかたむきかけていた。




このあたりの海は権現崎という国定公園になっていて、長い間、風雨にさらされ波に洗われた荒々しい断崖が、はるか向こうまで続いている。けれども厳しい眺めとは裏腹に、ここはとても静かな町だった。埠頭に停泊している漁船のそばで、子供たちが遊んでいる。ゴム長をはいたおじさんが釣りをしている。海の向こうから飛んできたかもめが旋回して、またどこかを目指して飛んでゆく。海辺を歩いていると、仲間からひとり取り残されたかのように、ずっとうずくまったまま動かないかもめを見つけた。羽根を怪我したのだろう。波の上で、遠くかすむ島影をただぼんやり眺めていた。飛ぶことのできないかもめは、多分何日も生きられないだろう。けれども、何もしてあげることができない。見ていると辛いので、私は黙って通り過ぎた。宿に帰ってからも、あの光景が何故だか心に焼きついて離れなかった。



その夜、私はもうひとつ、忘れられない光景に出会った。沖に出ていたたくさんの船が、いっせいに港に帰って来て、それまで、まばらな水銀灯と月灯りにだけ照らされていた港沿いが、そこだけ真昼のように明るくなった。それぞれの船の前では、漁に出ていた人の家族が総出で、ゴム長にゴムの分厚いエプロン姿で、黙々と捕れた魚を網から外し、発泡スチロールの箱に詰める作業をしている。ランプの灯りでオレンジ色に染まったどの顔も、悲しいくらいに生きている。生きて動いて生活している。私は夢の中の町に迷い込んだような、けれども心の奥までこの真昼のような灯りが差してくるような、不思議な気持ちで港沿いを歩き続けた。



5月。青森県の津軽半島にて。


(続)

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